
ひとりでも子供とでも楽しい歯磨きタイムしていますか?
ははとことしては歯ブラシも整体の一つとしてかんがえられます。歯を失うことが少ない方は人生を長く全うできます!
- 実は、子育て中の女性、働く女性の皆さんへお伝えしたいことがあります
こんなお悩みはありませんか?
疲れが取れない
不眠症ぎみ
病院に行く程ではいし、時間も無いけれど、からだのどこかが痛い
あるいはお子様の調子がおかしい、朝に問題が起きることが多い、仕事や学校に間に合わなくなりそう…
このような方は以下のような可能性があります
生活習慣 医食住について見直してみませんか? 医
とは
例)薬やサプリメントに頼りがち。ついに 痛み止めの飲み過ぎで頭痛に😢また副作用でぼーっとしてしまうなど、すこし日常生活に支障を感じているが、つい即効性があるものに飛びついてしまう。
⇨ イライラやストレスによる食いしばり傾向をもっているのでマウスピース、薬などで対処療法していました。
最近では行動認知療法に基づく方法を取り入れたりしていたのですが、
やはり自身のみで実践するにはハードルが高いのと性格が真面目な方にしかほとんど通用しないので、サボりたがりの私にも無理でした…
一念発起、思い切って薬、歯につけるマウスピースをやめ、リラックス効果の高い運動に切り替え、背骨の調整と頭骨の調整(均整法にて調子が良くなり始めた!)を行ったところかみしめ頭痛や同時に顎関節症もほとんど同時に改善傾向に。
もともとストレートネックと言われ続けてそんなものかと思ってはいましたが、診断はすれど治療なしの定番商品です。
だんだん、顔も頬筋の下方がすっきりして小顔になってきました。背骨を整えることの大事さ!を実感しました。
もしかして木を見て森を見ずだったのではないかと、いろいろと幅広い目で歯科での治療法をしらべたところ、
最もピンときたのがさとう式リンパケアの佐藤青児先生の頸椎理論でした。才能のエッジの効いた方で歯科医師なのにリンパケアをひろめていらっしゃり、かなり以前からYouTubeでいろいろな方面でお見掛けして存じてはいたのですが、頸椎の眼鏡石橋の匠理論は正に言い得て妙!でした。
やっと理解できた日が来た、さとう先生天才!と思ってしまいました(笑)
揉まない、押さない、引っ張らない、の3原則もまた理想的だなと共感するところです。
顎関節症については実は自分が得意としているところなのですが、お恥ずかしながら私の自身の場合、相当長年の悩み(10代から)だったので紺屋の白袴というか、大学で教わった治療法ですと頑張らないと ほぼ治らないカテゴリーでしたので、音がグチャっと鳴るのもあきらめていました。
耳鳴りもほぼ同じ部位ですので少し遅れて改善してきました。 別稿で顎関節についてはご説明したいと思います!しかし完治というには困難で悪化したりを繰り返すのは変わりませんが、
快適さが異なります。但し、マウスピースをやめてよい方とそうでない方もいるのでご参考になさってください。食
とは
例)コンビニエンスストア、スーパー、デパ地下でいわゆる中食ばかりを買ってしまう。
時間も心も余裕が無く、直ぐに食べれる物を選んでいるが、なぜか物足りなさを感じている。
単に量的な問題ではなさそう。
常に疲れやすさをかんじている。プラごみゴミが大量に発生するのもストレスになっていました。
余談ですが若い時に手術室で自分たちが使用する大量のディスポーザブルの物品ゴミの山をみて勝手にストレスを感じる性分です。
⇨自分で出汁だけは取る決心をし、汁物だけはなんとか手作りに。あとはコロナ後に豊富に増えた外食と中食の間のお店の持ち帰りメニューを活用しています。
これはとてもシュフにとってもシェフにとっても良かったのではないでしょうか。
余裕があれば週末に食事の作り置きサービスを利用。噂の志麻さんではありませんでしたが…なかなかの凄腕もいらっしゃいます!
また最近では紙の容器で持ち帰りを出しているお店も増え、プラごみが出ず
心もお腹も満足感がアップして実際の栄養もたっぷりです。住
とは
例)洗濯機の自動投入の液体洗剤に変更。 これは本当に発明品というかとても便利なので愛用しておりましたが、全てに通じますが、やはり便利なものには代償がつきものです。
原因不明の温度差蕁麻疹に悩まされるように。皮膚科で頂く抗アレルギー剤は初めは効きましたがだんだんと頻回になってきて、多く服用し続けこのまま人生長くは過ごしたくないと思うように😿
⇨ いろいろ勉強してみて思い当たることは洗剤を界面活性剤の含有%が低いものに変更したらみるみる改善!現在、私のつかっている洗濯洗剤はアルキルベンゼンスルホン酸ナトリウム=13%です。
メイン成分洗濯液体石鹸も使っておりましたが、洗濯物の黄ばみがはやいのと、(誤解をされないように言いますとうちの洗濯機が古いので)固まるのが一癖あり、ずぼらの私には苦になったので探し続けていたところ、最近ようやく自分に合うものみつけました。なんと近所のドラッグストアでみつけた!昔ながらの粉せっけんに近い成分です。しかもお安い!ずっとこの製造会社さん荒川区にあるのですが、持続してもらいたいです。(あくまで個人の感想です)

...上記の内容は全部、私自身の経験によるものです。
長年、歯科医師として働き、家庭を持つに至り家事や子供の送り迎えで忙しく生活しておりました。現在は男性も子育て参加をするようになったとはいえ、仕事を持っても持たなくてもやはり家庭の中心は女性です。ワンオペの言葉も虚しいほど子育てと家事の二本立ては激務!なんですよね。
はるか昔と違い、爺や婆や❓❕(昔は他人も珍しくありませんでした) がいない現代は孤軍奮闘となりある意味無理ゲーなんです。
そしてとうとう…人生のライフステージが変化し、大きな波🌊が立ちはだかり未曾有の出来事となりました。
恥ずかしながら激動?!のわたしの更年期と親の介護と息子の不調=同時多発 年表
約10年前~突然の耳鳴り⁈=ホルモンバランスの乱⁉︎
🤯 火災報知機のような音が突然寝る前に鳴るように…近医、また耳鼻咽喉科専門病院で異常なしの診断。むしろ治ったら方法教えてくださいといわれる始末。 まわりのママ友にも数人様々な耳鳴りの人をみつけ、<耳鳴り友の会>を立ち上げ情報交換するもなかなか決め手はなし。そのまま火災報知器音から高音ピーのみにかわり日常となり放置。たまに加味逍遥散など耳鳴りの漢方を気晴らしに飲む程度。ほぼ効果見られず。
さらに今から遡ること約6年前 子供の学校いきたくない!がおきる
=学校での異変生変(生活変化)😞 クラス替えによる環境の変化のリスクが大きかった!
突然朝、おなかが痛くて頭も痛い
特に風邪症状や寝不足もなかったのに 本当につらそうに訴えてくるため、近所のメンタル面を見てもらえる小児科を数件受診しまくり、親身に診てもらえた先生からやっと原因がわかりそうになり大学病院での検査をうけ、結局診断はついたものの治療法なし。もう一度トライし別の病院でも経過観察のみ。ついに学校行きたくないからイケナイへ
~ここから自律神経エピソードへ続きます~いけなくなった学校
ページへ
膝の痛みが突然出現!
=ついに更年期に突入か?😱氷河期到来! とにかく激痛で経験したことのない痛みで落ち込みました。直ぐにジム通いを決意し、今のようにパーソナルトレーニングが流行するすこし前に洗礼をうけ見事撃沈。なぜか代わりばんこに両膝が痛み畳にほぼ座れず。ちょうど受験とコロナが重なりお茶のお稽古に行かなくて済みました...お師匠様、御免仕りました。
さらに、学校の健康診断にて子供の外斜視が発覚!
=受験戦国時代真っ盛りのストレスによるのと🤢 ゲームとオンライン学習の負担か?
(当時コロナ始まりで学校が休校になり給食もなくなりはじめておりました)
姉妹の乳癌で7時間のオペ立ち合い
コロナが始まったばかりのころに突然、築地のがんセンターに呼び出され...彼女の退院後にものすごい勢いでテレビのいう感染数が増加し、徐々に社会不安となってくる。
さらにコロナ真っ只中、母親の心臓病が悪化しペースメーカ埋め込みオペに付き添うことに
といっても病院では本人と面会は一切できず。初めて会う執刀医との面談や、病状説明があり、母とは病院で会えず不安が募る仕組みの時期でした。この時期に入院された方々の恐怖ははかりしれないものがあるだろうと簡単に想像できます。とはいえ、大学病院のスタッフの方々はとても鷹揚に接してくださっていまして、ぴりついている家族にとってはとても3ありがたかったです。
このほかコロナ以前にかけても追い詰められる家族の危機があったのですが、いろいろな人の助けもあり、乗り越えてこられました。今では笑ってしまうくらいのヘビー級なメンタルエピソードもありますが、いつかの機会に漫画などにできればよいなと思っていたりします。うちの家族だけでもこんなに病気があって症例の宝庫なのですが、向き合ってみると生活習慣と密接しているなーと思うことが良くありました。
こんな、ほぼどん底といえる事態をなんとかしたいな、でもどうしたらいいのだろう?
この困った!を乗り越えるためには私の場合、病院が苦手!なのと仕事との時間が合わないためなんとか自宅で自分でできないかを模索してもがいておりましたところ、あることに思いたどりつ着きました。若い頃にはアシュタンガヨガや整体、ジムでの筋トレで自力でなんとかストレス解消、軆メンテナンスを行っていたのですが、家族と子供がいる中ではもうこれ以上体力、気力、時間共に余裕は無く、ましてコロナの最中で外出もままならず、今の自分の生活には合わなくなっていました。
そこで以前から気になっていた自分で自宅で出来る “操体法”というものを始めてみました。操体法は仙台の医師橋本敬三先生がはじめられた方法です。さらにもとになっている正軆法というものもあるのですが、ここでは省きます。高橋先生の始めた温故堂については下のリンクをご参考にしてください。じつは、大学を卒業してからも現在にいたるまで長年、全く知らなかったのですが仙台の大学の母校と現在でも続いておられる仙台の温故堂が目と鼻の先にあることを奇しくも昨年夏に全くの偶然から知りました。
建物が比較的新しかったので私が通学していた頃にはなかっただろうと思いますが、毎日通っていたところから道路を挟んですぐのところだったのには驚きました。たまたま通りがかった日には休診日でしたのビルのでロビーから覗くことしかかないませんでした。残念!ともあれ、
はじめは操体法のもとになった高橋迪雄の正體術の現代著訳版をみながら、見よう見まねでまず本に書いてあるとうりにあてはまる体型か検証するため、まず子供の体を座位と伏臥位で特徴をスケッチすることから始めました。観察して絵をかくのが好きなのでわりと面白く、からだを良く観察するのも職業柄慣れているのでいろいろとわかることが多く大変勉強にもなりました。
あとはそれにあてはまる操法を探してみて結果がでるか観察するを繰り返していました。特に頑張ったのは外斜視で特に記憶に残っています。目の操法(実際には足を操作します)を半信半疑でも一所懸命に受験勉強の合間に子供と取っ組み合いで眠い目をこすりながら朝晩と操体法を行ったりしていました。
すると困った!
が好転してまいりました。親の気持ちも焦りがなくなり、何とかなるさと思えるように。
気が滅入る日もありますが、だんだんからだの動き、改善がわかるようになり、人に教えたくない<どこかには書いてあるかもしれません>後頭部操法によるからだの動き(特に眼球の動き)の法則を発見したり。(現代科学でいうとn数は足りてないので何とも言えないです。亀井先生は50以上集めてみろということでしたが、いわゆる科学だとその10分の1で可とすることもホントか?思います)結局、極意というか、実際の奥の伝みたいなところを知りたくなり、共鳴法で有名な別所先生とコンタクト取らせていただいたり、教本を譲っていただいたりしておりましたが、奈良在住と遠方なのと、ちょうど現役はほんの少し前にしておられなかったので実際に手技を体験することが叶わず、もやもやしておりました。
その様な経緯で手技療法の奥深さをどんどん学びたい!気持ちが高まり、いろいろと調べた結果、たまたまご近所で学べる均整法に出会いました。偶然の出会いを神仕組みというそうですがまさに私にとってはそうでした。均整法はもともと様々な古典的手法を現代に伝えることをモットーにしており、自分にあった技法を選べるのが魅力です。幸いにも現在の学園長はその中でも、かなり自由な気風の方で❝均整の伝統を守りつつ自分にあったものをやればいいんだよ❞を体現している方として認識しております。学園ではもの凄腕の大先輩を多く輩出しており、わたくしもいつかはそうなりたいと思い地道に研鑽していきたいと思います。
仙台温故堂 https://onkodo.info/ 参考文献 11 22
食べ物にこだわりたい理由
それにしても乳癌家系といえるのですが、実は祖母方遡っても乳癌の人はおりません。目近で当時の母の生活をみていたことから考察するとおそらく食べ物×生活習慣×性格なのだろうと見当をつけておりました。その当時の母はかなりの激務というか、ある団体の代表として多忙を極めていたことがあり、また電子レンジが登場しはじめて便利に使えるものとして楽しく毎日使用しておりました。うちはきょうだいが多く家族も多かったので食事をつくることも相当大変だったとおもうのですが、子供は特に不自由もなく母の作ったご飯を食べておりましたが、母がお昼など一人でたべていた形跡のご飯をふとみると、揚げ物系、電子レンジ、冷凍食品が多くなってきていたのが気になっていました。ちょーっと忙しすぎて自分には手間かけられないんだろうなーと思っていましたが、ある日入院手術することになったと父から淡々と告げられた時は非常にショックでした。また、性格的には喜怒哀楽がはっきりしている方でため込まなさそうですが、人の心は計り知れません。代表を務めていた団体も人の出入りが多く軋轢もおおきかったのか、もともとは専業主婦の母には相当なストレスだったのではないかと思っています。その後スパっと辞めて自分の好きなことを仕事にして、私たちを育ててくれたのでその後は元気で過ごせたのだと思います。
食べ物に関しての違和感は田舎の祖母の家に行くと食事が印象的で、3世帯の大家族で住んでおりほぼ何でも米、漬物、味噌、醤油に至るまで地元のものか完全手作りのものばかりだったので子供ながらに大好きで、一方我が家でたべるだしを取らない?お味噌汁はおいしかったか記憶にないのですが、祖母方で食べる朝のお味噌汁のお椀の中で対流するおいしそうな味噌汁の味は忘れられないものがありました。
いつかわたしも…という考えはいつもよぎっているのですが、はじめのコロナの頃に、姉妹が乳癌が発覚したときについにきたか、、、と恐怖が倍加し、真剣に向き合おうと意識しはじめました。たまたま見つけた、食べ物に関する知恵や人生の心構えで響いたのが、心のバイブルとして、人生のお母さんと勝手に仰がせていただいておりますが、東城百合子先生の本です。また食べ物について調べていると、『ガンになった私の死なない食事』という本が衝撃的だったのと、かいてあることはほぼ、東城先生の本にすでに書いてあることでした。お二人とも時代も経験も全く違いますが、真剣に❝死❞と向き合った結果、結論が同じ。これはほんとうなのだろうというわけです。
ひとり言コーナー
母はもともと乳癌で昔のハルステッド法という術式だったため大きな郭清術の後遺症があり、ペースメーカ埋め込み手術は左側鎖骨下からできず右側から入れるという難手術だそうで術後も体調が安定せずほぼ毎日 寝たきりに。幸い、ドクターの腕も良く、オペそのものは順調でしたが、コロナ状況下という非常時の精神的なダメージの方が影響が強かったと思います。コロナの最中にフレイルになってしまった典型例でした。

私とがんとのかかわり
あとになり、乳癌の後遺症で何度も緊急入院を繰り返していた母の背骨をみかえしてみると、年齢もありますがやはり心臓にくるタイプの曲がり方です。療術の教科書に乗せれるぐらいにあてはまりますが、時すでに遅し。医学では左手のリンパ管腫と心臓病は全く脈絡はないのですが、均整的にみるとナチュラルコースとして考えられ、自然科学とはよく言ったものだと思いました。

前述のとうり、乳癌家系といえるわけで、やはりいつかわたしも…という考えがいつもよぎってしまうのですが、ある意味身近な疾患ともいえます。大学卒業後、もともと御茶ノ水にある大学院での研究生活半分、外来、病棟半分の生活をしておりました。その当時は口腔癌の患者さんと顎骨骨折の患者さんと顎変形症、口蓋裂症の患者さんすべてを一貫して診ることができた最後の世代かなと自負しております。
特に口腔がんは最も特殊な癌といえ、自身も治療者も直接目に触れない内臓の癌と異なり、その外容が目に見える形での末期を迎えるので、メンタル的にもトラウマが1次的にも2次的にもあるのが特徴ともといえます。逆に頭の周辺部分以外は転移がなければ正常だったりもするので本当に独特なのではないかと思います。
そんななかで医局を組織する教授をはじめ、若い医局員ともども患者さんにチームで尽力するわけなのですが、大学病院はいわば特殊な症例が集結しているともいえ、その都度、専門医でも聞いたことも無い、普通の病理の教科書には載っていないような不思議な癌というものに対面してしまうわけです。かつて医局制度も全盛期の後半で医局員も大変多くかなり大所帯で二講座が双璧しておりました。3桁は在籍しておりました時代でした。『白い巨塔』を地でやっておりまして、いまでは天然記念物ぐらいになっているのではと思います。現在では本年より大学の名前も変わってしまい、残念なことにいまだに正式名称を覚えられないです(笑)
時代の流れは速く、医学部も含めて本校歯学部の医局制度は昔とは異なる様相を呈しているようです。4歳年下の弟が医者をしていますが、院生時代も医局への帰属意識はかなり薄いものだったようです。私は現役世代とは縁遠く、名簿からハブされそうになっております(笑)。以前女性は2割にも満たなかった場所ですが今やほとんど女性と外国人!に支えられて、かつての勢いは感じれらません。入学の人数はかわないはずなので、あれ、どこ行ったー?
過去を回想する私もずいぶん年を取ったものですが、かつての大学の優秀な同期は何人も大学の教授になる世代となってまいりました。それで最近仙台に行く機会が増えてしまったのですが、パチパチ☆彡とばかりは言っていられず社会に対する責任も同時にある世代となりいまのところ危機感のほうが大きいです。
話を戻しますと当時は化学療法の選択肢が広がり始めた段階でしたので、現在のように特定の細胞変異、核変異に対する、免疫療法製剤や遺伝子組み換え製剤などはあまり主流ではありませんでしたので語弊を恐れずにわかりやすくいうと、風邪(インフルやコロナを含め)でいうところの総合感冒薬から少し、鼻かぜ、のど風邪に対する薬を選べるかなという程度でした。イベルメクチンやゾフルーザなどは存在していない時代ということです。その当時は新しい治療法、いわゆる先端治療という言葉が出てきた時代だったのですが、今でこそ先端医療の医療保険がでておりますが、当時は本当に治療は治験の段階程度でも、藁をもつかむ思いで加療を受けられている方がまれに存在する時期でした。私自身も特殊癌の症例の患者さんに対し“先端治療”が効果がありそうという医学文献が出てきたのを頼りに東京ではなく当時、日本国内でも静岡にしかない施設での加療をするかどうかの選択のお勧めをしました。ご高齢にもかかわらず近隣県から通院していただいていた患者さんでした。
当時で一回の加療だけでも300万円程かかりその他滞在費など考えるとご家族の負担はいかほどになるのかなど当時は全く気が回っておりませんでした。振り返れば❝病❞はみているけれど全人的(ホリスティック)医療という側面は後回しだったのでは、と年を重ねると見えてくることがあります。今の私だったらやはり選択肢としてはお話はインフォームするけれど、逆に迷うだろうと思います。
結局、ご家族の娘さんはお母さまをとても大切にされていたので、静岡に移住も含め、加療を受けるご覚悟されるとお話した段階で私が外来から引き揚げの時期となり次の担当医に引き継ぐことになりました。しかし先端医療を受ける準備の間もなく、まもなくご逝去されたと、教えてくれました。見た目は普通の生活ができて外来に通院することができていたのですが、やはり進行が速かったのだろうと思います。後日引きついでくれた担当医からは特にこちらから聞くともなく消息をつたえてくれました。同じく印象的だったのかかもしれません。
言葉はちがったかもしれないのですが、担当医が変わったことで気が張っていたのが緩み霊魂が尽きてしまったのかも…とボソッとつぶやいた、引き次いで教えてくれた彼女も某診療科の教授となっています。流石、彼女一流の人の本質を突きあてる鋭い感性だと思い記憶にのこっております。
その後、研究生活に専念する学年になり、お目当ての論文をゲットするべく(我ながら表現がふるいですねー)医学図書館の虫としてうごめいておりました。お茶の水は便利な土地柄で、自分のところになければ、日大医学部図書館、順天堂の図書館と自由に行き来していて、とても助かりました。いまではそんなことできないのかもしれません時代がアナログでまだのんびりしていましたね。いまは自宅でおせんべ食べながらでもフルで見れます。逆に息抜きができないのがつらいかもしれません。
研究生活では癌とは直接はかかわらなかったのですが、少なくとも医学研究において初歩である、初めての細胞培養は、私ももれなく、先輩の先生から譲っていただいた、有名なヒーラ細胞(ヒーラさんのヒト癌細胞が研究者のあいだで無償で保存継代されていて世界中で利用されています。マインクラフトのゲームやこのホームぺージを書いているソフトWordPressなのですがほぼ無料配布されていて世界中で使用されていますね、同じような感覚です)の細胞培養の練習から始まり、また骨の世界では有名なことで大学内外で名高かった?!&恐れられていた大学医学部付属の難治疾患研究所というところに移りました。昔ながらの古い建物での最先端?の研究が行われているのがとっても面白かったのですが、机はぎゅうぎゅう詰めで皆忙しく独特の雰囲気でした。
今でも尊敬する某指導教授の元、与えられた課題難題を解消すべく、来る日もくるひも、研究の材料環境を整える儀式として?Pubmedを血眼で何百何千という医学文献を山のように渉猟させられ、もとい、させていただいて、現物論文はまだ電子化はほとんどされていなかった時代です。分厚い文献本からそこだけを抽出してコピーしてくるといった地道な作業を繰り返した後、膨大な仮説論文を読んだうえで博士号を取得すべく、研究内容を喧々諤々、教授と組み立てていくわけです。当時、先生とはいわば頭のCPUが違っていて私とは数世代くらい異なるのでついていくのがやや困難でしたが、面白いトピックとテーマを作り上げてくださるアイデアはずば抜けていた、そんな経験をさせていただいた当時の教授に本当に感謝申し上げたいです。
そんなこんなで、東大から派遣されてきたり、順天堂大学からの留学組や、医学部でもなく歯学部でもない、理学部の生え抜きの研究者がポスドクでいたり、などこちらはこちらである意味、大所帯の研究室でした。謎の助教授の存在とか、その当時は日本人と接触がNGと思しき某国留学生で彼女のため?英語でしか会話しない時間があったり(彼女は後にハーバードにいきました)とか、いろいろと突っ込めないところもあり懐かしいです。難治疾患研究所の所長の教授となぜか飲み会に呼んでいただいて気晴らしにこっそり忘年会とか行っていました。完全に時効ですハイ。
当時の分子生物学、遺伝子研究の領域ですと癌研究分野とは切っても切り離せない世界だということはだれでも知っています。なぜなら癌分野は研究予算が豊富で華麗な発見も多い分野なのです。一方、骨の分野は名前からしてもう地味なのですが、当時偶然、画期的な発見を行ったグループがあり、RANKLーRANK機構という物質の機能の発見で(これも癌をやっつけるための研究から発見されたもののひとつです)今でいうと、フォートナイトにおけるビクロイ的なものだったのですが、これが❝骨❞の代謝にからんでいるということでアメリカ(=世界ですねハイなぜかこれ常識)骨代謝学会でかなり盛り上がりまして、世界中の研究者をまきこんで大フィーバーしておりました。まさに世界的なe-game大会のファイナルステージバトルみたいな様相です。実際は見た目地味ですが高揚感はあるのです。
ASBMR(アメリカ骨代謝学会)のみならず、分子生物学会周辺での盛り上がりもすごかったと思います。ちょっとしたバブルを呈している研究室があり、まさにその講座の一つだったと思います。今でいうと、e-Sportsに身を投じる若者と先端分野での若い研究者の熱い死闘がかさなり、先端技術(私はゲームの話しかわかりませんが)に触れる機会はいまだにワクワクしてしまいます。分野は異なりますが、父親がそういう研究の世界の住人だったこともあり、目近で見ていて、血が騒ぐというのか、昔は六本木に先端研があった時代だったり、熾烈な国際競争の話~ ❝一見平和そうなんだけれど、、、❞...??なエピソードなどを聞いて面白そうと思ってしまったので、この世の物質、自然のからくりの追求者として、家族代々まだ見ぬ新し物好きを自認する、サガでしょうか。
いまではネットとAIの普及があり、人間でないものが生成した根拠の適当なものが氾濫していて、なんかそういった権威といわれる学会や雑誌、文献みたいなものも混交玉石で自分で本物を判断する目を養える場が貴重になってきている時代になってしまいました。最近、子供の塾の同期生仲間で日本でのフロンティア研究に触れる機会があったらしく、もはや生物学は遺伝子切った張ったの乱暴な時代ではなくDNAの働きの履歴を保存追跡可能でしかも画像で?しかもVR?細胞のサイボーグ?...は?だって細胞って死んでるものを固定して顕微鏡でにぞいてしかみえないものでは?とおもいつつ、位相差で見たり、マイクロナノカメラの存在は以前からあったので生きたまま観察もありかーと思い直しました。ちょっと世代が違うとおえ~っと思うことも常識という時代の流れですね。
もはやテクノロジーの進化の差は宇宙人(未知)との遭遇、の場面!?ピイーポーぱっプーでした🔥。雑に解釈すると、要するに生物学はもはや工学となっており、生物からなまの部分がなくなって物学になるのではと理解しております。工学部と合併し、前出の大学の名前が変わったことにも大いに関係があるのではと、いらぬ老人の独り言となっております。
さらにひとりごと
コロナで流行り、一般的になったPCRという言葉も中身は知られておらず、これは当時からわりに大学院生の実験ではポピュラーでDNA~RNAを抽出するテクニックなのですが、操作はちょっと複雑だけど狙ったところで遺伝子をきりとったりくっつけたり、思うようにはできなかったりで面白いテクニックでしたが、いわゆるズルも可能だなと当時思っていました。さらに今は薬剤キットをぱっと混ぜてあとはハイ全自動らしく、うちのしゃべる炊飯器なみにいろいろ焚き分け、もとい中身が何か全く知らない人でも簡単においしくできちゃう世界のようです。これ以上は語れませんが、万能の科学はまだ存在しないことを頭の片隅にいれておくことが必要であること、をしっていただけたらな、と思います。
話があちこち行きましたが、大学院卒業後も今はまたも名前が変わってしまった、国立国際医療センターでのレジデント研修中にがん治療薬初の飲み薬のはしりの新薬の治験でわりと成績の良かった薬などで関わらせていただき、がんと生死とを向き合う場面も多く経験し、現在、特養施設の高齢者訪問診療を行っているため、間接的ですが生死に向き合う機会が続いています。
大学の医局を辞めた後の世の中の流れとして一般の歯科医院の一端から垣間見ますと、その後、化学療法を扱うのはがん薬物専門医、またがん治療は癌治療認定医制度であったりと変化し、放射線療法もかなりの研究が進んでもはやそれぞれが先端化、先鋭化しています。病のある人間としてはまた将来がんになる確率が高い身として、病気の以前にわたしはひとなんです。気持ちもあるし、わたしの病気はだれが治してくれるの?とさみしい気持ちになりそうです。願わくば『ひと』であってほしいこの頃です。

操体法の源流を探っていくと『正體法』
さらに整體と言われている源流は『修験道』からだそうです
みらい歯科わ心自律神経研究所の由来について
歯科の究極は予防につきます。歯磨きという行為は予防を徹底する傾向にあり、現在、虫歯になる子供は少なくなっています。また高齢者世代も8020を達成しつつあるなというのが現状です。しかもPMTCといった予防行為をすることが保険診療で手軽に行うことができます。予防さえしていれば歯は悪くならないのが自明なのですが、今は過渡期ではあるため、まだ歯科の治療分野が成り立っている仕組みです。さらにわかってきたことは誤嚥性肺炎との関連性や、糖尿病との関連性が有名になってきましたが、それだけでなく口の中が良くなると、認知症の改善、基礎疾患の改善を歯科医師はとても実感しやすいです。
みらい歯科
みらい歯科の由来はといいますと、私の見解ですと、将来的に歯科治療は削らない、取らない、触らない、3無い治療法が確立される予測をしております。この3無い歯科を実現するためにはまず軆の土台から、に行きついたわけですが、すでに提唱されている歯科医の小峰先生がおられることを、たまたま知り嬉しく思いました。わたくしもそのように真剣に考えておりましたところ、歯科というよりも『整体』という形でまず提供することにしましたが、歯科の一端でもある痕跡を残すためにつけさせていただきました。
小峰和夫先生の歯を削らない、歯髄を取らない歯科治療はすでに確立されいるようです。食べ物を変えることによって実際に病気が改善する例がたくさんおられます。
歯医者は医科との違いは決定的に予防に傾くわけなのですが、それが歯科の落とし穴になります。サラリーマンより収入が少なくなっているという雑誌の統計も出ているくらいで、その理由はここではしませんが、自費診療で開業されている先生がNOTEのブログでとてもよく表現されていますので参考になさってください。
結局、私としては食べ物と整体にたどり着いたのですが、わたしは個人的理由でがんになりたくないという漠然としたものから、小峰先生は真剣に歯科治療を考えぬいたうえでの同じ考えにたどり着いていたのでこれもまた天意を得たり、とは大げさでしょうか?
わ心『和意;わごごろ』
わ心『本来は和意わごごろと書きます』とは日本人として生まれてラッキーとしか思えない人生。幼少期から思ってきましたが、どうも世間的には違うらしいということに大人になってから気づいたり、またそれについて勉強したきっかけがコロナ騒動です。この施術所を立ち上げた一番の理由はもう一度西洋主義一辺倒になってしまった現代に見直す場所が欲しかったのといろいろな方に知ってもらいたいからです。
わ心とは超古代から続く私たちの風土や、気質、食べ物を大事にしていきたいとの希望が詰まっております。失われた大和言葉を大事にしていきたいとの思いからどうしても入れたかった造語です。
いまだに政治的にも科学的にも論争が尽きていないコロナ感染の副産物があります。わたくしの両親はどうも戦後思想にからめとられておりますが、わたくしたちの世代は意外にも祖先に守られているというか、そうでもない世界観の人もふえてきているようですので、これからの若い人たち、子供たちにももっと強く受け継がれていければと思っております。万葉の時代にもどるとはいいませんが、さらにむかしの縄文時代の❝気持ち❞にはもどることは可能なのではないでしょうか?なぜか縄文時代のよすがは身近に感じることができるからです。
私が働いている診療所の一つの近く、埼玉県のサッカー場(氷川神社のすぐそばです)周辺には縄文土器の博物館があったりして実際の発掘品などがたくさん!展示されています。また別のすぐ近くの郷土博物館では縄文人の骨格なども見ることができます。職員のかたに確認、許可いただき写真撮りましたがちょっとこわいかもしれないのでここではだしません。日本人はどうも縄文系と弥生系に分かれるそうなのですが、骨格といえばいろーんなひとの目の周りの操法をしていてきがついたのですが、形が非常に深い人とそうでない人がおられます。なぜわかるのかというと指の形に合わずぴったりとフィットさせずらいタイプの人がわりとおります。私の一説ですが縄文系は深く瞼操法がやりにくい、弥生系は浅くテルマエロマエでいうところの顔の平たい族は瞼操法がやり易い、です。
古い言い伝えの一説によると出身地によってもじつは民族の違いがありそうですが、現代は婚姻も土地の移動も激しく全員ほぼ混血なので難しいところです。うちも関東と九州の混血となりました。私の住んでいる近くの飛鳥山周辺にも縄文遺跡が発掘されております。ははとこ均整院のちかくには弥生式土器の発掘された弥生も近くにあります!何かと縁のある本郷通り沿いの話ですが、あちこちにこんなに密に遺跡を感じられる国はないです、絶対。はいごめんなさい、エジプトかエチオピアくらいでしょうか。あれ、カンボジアとかイランとかシリアとか考えたらたくさんありそうですね。いずれにせよ古い歴史を持つことになぜか誇りをもてます。皆さんはどう思われますか?
自律神経研究所Symlaboとは
自律神経とは良く聞きますが、実際の働きについては生理学の分野がメインのようです。どうしてもマクロ的になるため、実験する環境が生体を使用しなければならないので現在の価値観、倫理観からするとEBM研究が困難な分野かもしれません。ただ、これからAIを利用したVR環境での実験が進む可能性もあります。教科書では概念がわりと古いままの定義になっているので、わかりにくく一般に知られていないことも多くまた、本当は医学的にもまだよくわかっていない点がたくさんあるのではないかと思います。
東洋医学的にはかなり古くから神経と内臓の関係についての文献があります。これからの私のフロンティアとして、和漢洋の知識を統合し、自律神経を追求してみようという思いで自律神経研究所=Symlaboを設立いたしました。
均整法では体の右と左で作用が異なるのと交感神経と副交感神経のバランスを抑制、または鼓舞することで制御を行います。整体では首の周りからの迷走神経や星状神経叢を整えたり、おなかの表面からの刺激で内臓神経をと整えたりが可能といわれています。自律神経と背骨と内臓、この3つが関連しあっているので、痛みや不快症状が表にでてきます。上手に整備すると、からだの調子が良くなる、未然に病気を防ぐことができますので、加齢のせいばかりでないかもしれませんので、均整法をお試しください。
当院ではあまりお体を動かせない方、最近ではペースメーカ埋設されている方や、各部位の人工置換インプラントを受けられている方も多いのでそういったかたにも安全に施術をうけていただけるような方法をとりいれております。
眠くなるような心地よさがありますので、不眠症の方、お仕事、勉強などで頭が休まらない環境の方、とてもお勧めです。
いけなくなった学校 自律神経との関連性に気が付いた!
大腸と脳の相関 自律神経との関連性をしめしていることになんとなく気が付いたのはこの時期でした。
長男が朝、お腹がいたくて頭痛も同時におきる様子が本当につらそうで初めは信じられなかったです。
当時流行っていたプチ断食や腸活で、脳腸相関という言葉を知ったのですが、まさか子供でも関係あるのかどうかわかりませんでした。調べてみると脳と心のつながりがそのまま腸の働きにつながっていることを利用したサプリメントがあり、早速といりれてみました。お腹は少し良さそうということでした。朝におトイレにいる時間が長くなってしまい、登校時間は少しずらすことを毎回学校に連絡し、
スポットで授業を休む(保健室の利用)スケジュールを入れながらなんとなく誤魔化していましたがそんなある日
ついに朝、学校に行けない
日があり、親としては仕事もあり、一人残していくには心配ですのでやはり焦りました。このままではまずいと思い必死でネットで大腸炎、頭痛などで検索しておりました。おそらくその時にネットで数回スクランブルしたのがこれもまた偶然で均整学園の小室先生<この時にネットで均整とは一言も書いてなかったと思います>のホームページだったような気がしますが(違うかもしれません、ごめんなさい)確か小田原とかなり遠く、うちからは通いきれないと考え近場でとさがしておりましたところ、埼玉県の宮原というところに自律神経調整専門の遠藤先生という療術家を訪ねましたところ、先生独自の数分の施術で数回で改善し学校生活も復帰できました。
実は、本人ははっきりとは言わないのですが、どうも周りのお友達のママなどからの情報で同時に小学校での人間関係のトラブルもあると踏んでおりました。状況特定は困難、トラブルはうやむや、かなり親の負担は大きいものでした。けれども自分で納得するところまでやらないと気が済まない性分ですので、もがきつつも、いろいろな方面で相談しつつ、学校という組織のヒエラルキー的なものや各教育委員会の役目などの壁を感じつつ、いち市民の親という非力な力関係を、てこの支点を移動させるような技で?!その学年では結局担任が休職するという謎の収束。後日別のお子さんも大変だったというお話もきいて、全ては運次第なものかと試練を感じた次第であります。
当時は自律神経専門ということはスルーしていたわけですが、とにかく効果があったのは確かでしたので子供にどんな施術かきいてみると再現してくれました。『うーん、こうかなー』と真似でやってくれるのです。(心の中の声)『うん、たしかに上手だねー。心地いいなー。』表現が難しいのですが、ピッピとサッサーみたいな感じで背骨周辺と腕足のみの施術のようです。どうして子供に聞くしかなかったといえば、受者以外は立入りお断りだったかと。ただただ、効果があってよかったねー、と単純に喜んでおりました。あとになり、よく考えたら結構すごい事だと気づいてしまいました💦そのような不思議なご縁があり、均整法で勉強した東洋医学的観察および施術法がすんなりと腑に落ちる理由です。
ここまで大変長々と読んでいただきありがとうございました。